好きの言語化

私にとって、自分の好きなものについて、「なぜ好きなのか」「どこが好きなのか」を説明するというのは難しいことの方が多い。

 

どうしてもそれを言葉にした時の自分の文章の理屈っぽさを私は好きになれなくて、好きだから好き!で済ませる。でも時折、作家のエッセイや誰かのインタビューで自分の好きなものを適切に言語化しているのを見ると、好きなものを好きだから好き以外の言葉で表したいという願望に駆られる。その衝動のまま、ブログを開設に至ってしまったとも言える。

 

 

でも「私が好きだと思ったから好き」には、自分にしかわからないという唯一性を孕んでいて、そこに特別感を感じてしまうのかもしれない。

 

誰かにわかってほしい「好き」もあるけれど、自分だけがわかっていたいという気持ちも私の中にはどこかある。

 

時が経ってから、「これ好きだったな〜今も好きだな」と思えるものは理由など分からなくていいのだけれど、「なんでこれ好きだったんだろう」と刺さらなくなってしまったものに関しては言葉にしておけばよかったと後悔する。

 

あと好きの言語化問題で私が一番辛いことは思った通りに言葉に出来なかったな…と思っていた事柄を他の人が上手く言語化しているのを目の当たりにしたとき、いらないこと言わなければ良かった…!となること。

自分で自分の解釈に恥ずかしくなるのが一番辛いと思っているので、耐えられない。

 

そういうジレンマを抱えながらこれからもずっと好きなものと向き合っていくんだろう。記録に残すことが続いた試しがないので、ここもいつまでもつかわからない。できることなら長く続けていきたいが…